陳寿、密やかな真意

評曰、魏后妃之家、雖云富貴、未有若衰漢乗非其據、宰割朝政者也。鑒往易軌、於斯為美。追觀陳羣之議、棧潛之論、適足以為百王之規典、垂憲範乎後葉矣。
(『三国志』巻五、后妃伝)

陳寿は『三国志』后妃伝の最後で「魏が外戚に権力を与えなかったのは素晴らしい。それを提案した陳群の議論は後世の規範とすべきだ」といったようなことを述べている。


しかし、昨日の記事などを見てもらえばわかるように、「陳羣之議、棧潜之論」は、「魏では行い得なかったこと」であり、それを後世の規範であると陳寿は言っている。



そういう目で前半部分を見直すと、確かに魏では「后妃之家」が「宰割朝政」したことはなかったが、実際のところ司馬氏という「后妃之家以外」が「宰割朝政」して王朝が簒奪されたではないか。



外戚が専権することはなかった。ただし、専権する者がいなかったとは言ってない」なのである。



つまり、前半部分も実は魏王朝への称賛としては微妙にズレているのではないか、ということだ。


これは、何か真意を隠した婉曲な表現なのではないか?




実は、少なくとも『三国志』の記録を見る限り、陳群が禁止を申し立てた外戚の女性への封建を行わず、棧潜の言うようにしかるべき家柄の娘を皇后としてきて、かつ外戚が専権することもなかった、という王朝がこの時代に一つある。



蜀漢である。




もしかして、『三国志』后妃伝の評で陳寿が本当に言いたかったのは、「魏は確かに外戚の専権を防いだが、陳羣・棧潜の建言は取り上げられなかったのはいただけないし、そもそも専権によって滅んでいるではないか。その点、蜀漢陳羣・棧潜の建言のようなことをしていたし、外戚の専権も防いでいた。蜀漢に軍配が上がる」ということだったのではないか?