仲長統『昌言』損益篇を読んでみよう:その3

その2(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/08/18/000100)の続き。





肉刑之廢、輕重無品、下死則得髡鉗、下髡鉗則得鞭笞。死者不可復生、而髡者無傷於人。髡笞不足以懲中罪、安得不至於死哉!夫雞狗之攘竊、男女之淫奔、酒醴之賂遺、謬誤之傷害、皆非値於死者也。殺之則甚重、髡之則甚輕。不制中刑以稱其罪、則法令安得不參差、殺生安得不過謬乎?今患刑輕之不足以懲惡、則假臧貨以成罪、託疾病以諱殺。科條無所準、名實不相應、恐非帝王之通法、聖人之良制也。或曰、過刑惡人、可也。過刑善人、豈可復哉?曰、若前政以來、未曾枉害善人者、則有罪不死也、是為忍於殺人、而不忍於刑人也。今令五刑有品、輕重有數、科條有序、名實有正、非殺人逆亂鳥獸之行甚重者、皆勿殺。嗣周氏之祕典、續呂侯之祥刑、此又宜復之善者也。
(『後漢書』列伝第三十九、仲長統伝)

肉刑が廃止されて刑罰の重さの等級が無くなった。死刑の下は丸刈りで、丸刈りの下はムチ打ちの刑である。死んだら生き返らないが、丸刈りは傷つかない。丸刈りやムチ打ちは中程度の罪の罰としては足りないが、どうして死に至らずにいられるだろうか。


鶏やイッヌの盗難、男女の淫行、酒席の贈り物、過失傷害などは、どれも死には値しない。殺すのは重すぎるが、丸刈りでは軽すぎる。中程度の刑が罪に釣り合わなければ、法令がどうして一致するだろうか?生死を誤らずにいられるだろうか。


刑が軽すぎるという問題があれば、汚職の罪の金額を密かに増やして罪を増し、病気だという事にして密かに殺してしまう。法令に準拠すべきところが無く、名実が不相応であるのは、帝王の代々通じる法律、聖人の定めた正しい制度とは言えない。



ある人は「悪人に過剰な刑を行うのはまだマシだが、無罪の人に過剰な刑を行うというなら、肉刑を復活するべきだろうか?」と言っている。だが肉刑廃止以来、罪なき人が殺される事は無かったはずだ、何故なら罪があっても軽いので殺されないからである。人を殺すのはやれても、肉刑にするのは我慢できないだろう。



今、肉刑の五刑を備え、法令の条文を整理し、名実を正し、殺人や反乱やケダモノのような悪事でなければ殺さないようにするべきである。周の秘法、周の呂侯の法を継ぎ、肉刑を復活すべきなのである。






どうやら、仲長統は足やらいちもつやらをアレする肉刑を復活すべし、という論であるらしい。



刑罰が軽くても、どうせ密かに罪を加増されてしまったり病死という事にして獄死においやられる(つまり死ぬしか無いような過酷な環境に置かれるという事だろう)、それなら死にはしないで済む肉刑の方がマシだ、ということだろうか。



この時代、仲長統のよく知る世界では刑罰は文書改竄による加増やら「獄死」やらが横行していた、という事なのかもしれない。もしかしたら。