仲長統『昌言』法誡篇を読んでみよう:その2

その1(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/08/26/000100)の続き。





昔文帝之於鄧通、可謂至愛、而猶展申徒嘉之志。夫見任如此、則何患於左右小臣哉?至如近世、外戚臣豎請託不行、意氣不満、立能陷人於不測之禍、惡可得彈正者哉!曩者任之重而責之輕、今者任之輕而責之重。昔賈誼感絳侯之困辱、因陳大臣廉恥之分、開引自裁之端。自此以來、遂以成俗。繼世之主、生而見之、習其所常、曾莫之悟。嗚呼、可悲夫!左手據天下之圖、右手刎其喉、愚者猶知難之、況明哲君子哉!光武奪三公之重、至今而加甚、不假后黨以權、數世而不行、蓋親疏之埶異也。母后之黨、左右之人、有此至親之埶、故其貴任萬世。常然之敗、無世而無之、莫之斯鑒、亦可痛矣。未若置丞相自總之。若委三公、則宜分任責成。夫使為政者、不當與之婚姻。婚姻者、不當使之為政也。如此、在位病人、舉用失賢、百姓不安、爭訟不息、天地多變、人物多妖、然後可以分此罪矣。
(『後漢書』列伝第三十九、仲長統伝)

昔、漢の文帝は鄧通を大変寵愛していたが、それでも丞相申徒嘉の気持ちも尊重していた。このように信任されていれば、皇帝の左右の小臣を気にする必要があるだろうか?時代が下ると、外戚や宦官の請託が上手く行かないと不満を持ち、すぐに人を不測の災いに陥れる。どうしてこれを摘発して正そうという者が現れようか。昔は信任は重く、責めは軽かった。今は信任は薄いのに、責めは重い。



昔、賈誼は周勃が獄で苦しんだ事に心を動かして大臣が誇りを守れる自殺を選べるようにと進言し、以降はそれが定例となった。後を継いだ君主はそれが普通になっており、その事が分からないのである。ああ、哀しい事だ。左手では天下を任せようとしながら、右手では首を切ろうとしている。これは愚者でさえ難しい事だと分かるのだから、賢者ならなおさらである。



光武帝は三公から重い権限を奪い、今に至るまで更に進行している。最初は皇后の家に権力を与えずにいたが数代で変わってしまった。これは三公と外戚では皇帝との親しさの違いがあったためである。母后の家や左右の宦官は皇帝にとって大変親しい者であるので何代も信任されるのである。このようにして腐敗していくのは、今まで起こらなかった事が無かったのだが、歴史に学ばないできた。痛ましい事だ。



丞相を置いて全てを任せる方がマシである。もし三公に任せるならば、任務を分けて責任を果たさせるべきである。政治を行う者は外戚となるべきではなく、外戚は政治に関わらせるべきではない。そのようにしてから、地位にある者が人々を苦しませ、人材登用は賢者を取りこぼし、民は不安を持ち、訴訟が頻発し、天変地異が続発するような事があれば、その者がその罪をかぶるする事になるのである。






仲長統はどうやら丞相を復活せよ、と考えているようだ。その一方でその丞相は外戚となるべきではない、とも言っているようだ。あれ、この時代の丞相の娘というと・・・。


仲長統は曹皇后策立をどんな思いで見たのであろうか?