『晋書』武帝紀を読んでみよう:その49

その48(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/11/24/000100)の続き。





制曰、武皇承基、誕膺天命、握圖御宇、敷化導民、以佚代勞、以治易亂。絶縑綸之貢、去雕琢之飾、制奢俗以變儉約、止澆風而反淳朴。雅好直言、留心采擢、劉毅・裴楷以質直見容、嵇紹・許奇雖仇讐不棄。仁以御物、寬而得衆、宏略大度、有帝王之量焉。於時民和俗靜、家給人足、聿修武用、思啟封疆。決神算於深衷、斷雄圖於議表。馬隆西伐、王濬南征、師不延時、獯虜削迹、兵無血刃、揚越為墟。通上代之不通、服前王之未服。禎祥顯應、風教肅清、天人之功成矣、霸王之業大矣。雖登封之禮、讓而不為、驕泰之心、因斯以起。見土地之廣、謂萬葉而無虞。覩天下之安、謂千年而永治。不知處廣以思狹、則廣可長廣。居治而忘危、則治無常治。加之建立非所、委寄失才、志欲就於升平、行先迎於禍亂。是猶將適越者指沙漠以遵途、欲登山者渉舟航而覓路、所趣逾遠、所尚轉難、南北倍殊、高下相反、求其至也、不亦難乎!況以新集易動之基、而無久安難拔之慮、故賈充凶豎、懷姦志以擁權。楊駿豺狼、苞禍心以專輔。及乎宮車晚出、諒闇未周、藩翰變親以成疎、連兵競滅其本。棟梁回忠而起偽、擁衆各舉其威。曾未數年、綱紀大亂、海内版蕩、宗廟播遷。帝道王猷、反居文身之俗。神州赤縣、翻成被髮之郷。棄所大以資人、掩其小而自託、為天下笑,其故何哉?良由失慎於前、所以貽患於後。且知子者賢父、知臣者明君。子不肖則家亡、臣不忠則國亂。國亂不可以安也、家亡不可以全也。是以君子防其始、聖人閑其端。而世祖惑荀勖之姦謀、迷王渾之偽策、心屢移於衆口、事不定於己圖。元海當除而不除、卒令擾亂區夏。惠帝可廢而不廢、終使傾覆洪基。夫全一人者徳之輕、拯天下者功之重、棄一子者忍之小、安社稷者孝之大。況乎資三世而成業、延二孽以喪之、所謂取輕徳而捨重功、畏小忍而忘大孝。聖賢之道、豈若斯乎!雖則善始於初、而乖令終於末、所以殷勤史策、不能無慷慨焉。
(『晋書』巻三、武帝紀)

ラストに唐の太宗の有難いお言葉。



民の教化やら奢侈の悪習の根絶やらといった(彼らの基準では)善政を敷き天下を統一したが、気を緩めたのが悪かった、といった論調か。



そして、匈奴劉淵(劉元海)を消さなかったり、太子をそのままにしたりしたことが失敗だった、と説く。



槍玉に挙げられる王渾は劉淵支持者、荀勖は太子・賈氏(太子の妃・賈充の娘)支持者であった。



一人を助けたり、子への愛情から廃嫡を思いとどまったりといった小さい徳のせいで天下を混乱させた、と断じる。



ちょっと前流行ったアレで言うと「トロッコ問題」的な奴だ。




流石は天下のために自ら兄弟を討ったお方。その言い訳に見えるとか言っちゃいけない。




というわけで、『晋書』武帝紀は以上。続きは未定。