仲長統『昌言』損益篇を読んでみよう:その4

その3(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/08/19/000100)の続き。





易曰「陽一君二臣、君子之道也。陰二君一臣、小人之道也。」然則寡者、為人上者也。衆者、為人下者也。一伍之長、才足以長一伍者也。一國之君、才足以君一國者也。天下之王、才足以王天下者也。愚役於智、猶枝之附幹、此理天下之常法也。制國以分人、立政以分事、人遠則難綏、事總則難了。今遠州之縣、或相去數百千里、雖多山陵洿澤、猶有可居人種穀者焉。當更制其境界、使遠者不過二百里。明版籍以相數閱、審什伍以相連持、限夫田以斷并兼、定五刑以救死亡、益君長以興政理、急農桑以豐委積、去末作以一本業、敦教學以移情性、表徳行以厲風俗、覈才蓺以敍官宜、簡精悍以習師田、修武器以存守戰、嚴禁令以防僭差、信實罰以驗懲勸、糾游戲以杜姦邪、察苛刻以絶煩暴。審此十六者以為政務、操之有常、課之有限、安寧勿懈墯、有事不迫遽、聖人復起、不能易也。
(『後漢書』列伝第三十九、仲長統伝)

易経』では「陽は一人の君主に二人の民という君子の道であり、陰は二人の君主に一人の民という小人の道である」と言っている。少数派というのは人の上に立つ者であり、多数派というのは人の下に付く者である。五人組のリーダーにはそれに匹敵する能力の者がなる。一国の君主は一国を治められる能力の者がなる。天子は天下の主となる能力の者がなる。



愚かな者が能力のある者に使役されるのは、枝が幹から生えているようなもので、世の常なのである。国を制して人を分類し、政治を確立して仕事を分ける。人が遠くにいれば安んじにくく、政治が纏まれば治めにくい。


今、遠方の県ではお互いに数百里の距離があり、山や沢が多い場所であっても人が耕作して暮らしていける場所がある。境界を改め、二百里も離れているということがないようにするべきである。戸籍を明確にして確認し、五人組などの制度を立て直して維持し、人夫や耕作地を制限して豪族の兼併を防ぎ、五種の肉刑を定めて死人を救い、君主を増やして政治を興し、農業や養蚕業の育成を急がせて蓄えを増やし、商業を制限して生産業へ一本化し、学業を振興して世の風潮を良くし、徳行を表彰して世間に奨励し、能力を良く調べて妥当な官を授け、兵士を選抜して戦争や狩猟に習熟させ、武器を揃えて防衛戦を意識させ、禁令を厳しくして僭上の沙汰を無くし、賞罰への信頼を確立して懲罰や褒賞の効果を上げ、ギャンブルを糾弾して悪事を防ぎ、過酷な取り締まりを監察して煩瑣や暴政を根絶する。



これら十六の事を徹底する事が政治であり、これを操るのにブレが無く、税や役務を課するには限度があり、安寧であっても堕落はせず、何か事件が起こっても急に徴発するような事はしない。このようにすれば、聖人が誕生したとしても、世を変える事はできないのである。






戸籍や郷・里の支配制度を立て直し、適切な禁令を行い、兼併を防げ!そうすれば他に聖人がいても今の世を変える事はできない!


まあ正論なんだろうけれど、それは王莽だって強く志向していた事だったんじゃないか、とは思う。



じゃあそれ実際に出来るの?みたいに思ってしまうが、「本当に世を救い次の王朝を立てる聖人なら出来る!」みたいな意味合いなのかもしれない。わからんけど。