仲長統『昌言』損益篇を読んでみよう:その2

その1(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/08/17/000100)の続き。





井田之變、豪人貨殖、館舍布於州郡、田畝連於方國。身無半通青綸之命、而竊三辰龍章之服。不為編戸一伍之長、而有千室名邑之役。榮樂過於封君、埶力侔於守令。財賂自營、犯法不坐。刺客死士、為之投命。至使弱力少智之子、被穿帷敗、寄死不斂、冤枉窮困、不敢自理。雖亦由網禁疎闊、蓋分田無限使之然也。今欲張太平之紀綱、立至化之基趾、齊民財之豐寡、正風俗之奢儉、非井田實莫由也。此變有所敗、而宜復者也。
(『後漢書』列伝第三十九、仲長統伝)

井田制を変えた結果、豪族が財産を増やして屋敷や田畑が領域内に連なるようになった。小役人の身分ですらないのにドラゴン模様の服を密かに着用し、五人組のリーダーですらないのに実際には貴族のような勢力があり、栄華は封建君主のようであり、勢力は太守や県令にも匹敵する。賄賂を贈って法を犯しても罪に問われず、自分のために死ぬ刺客を養っている。力と知恵が足りない者はボロをまとい、死んでもまともな葬儀もなされず、冤罪で苦しみ、自分を助けることもできない。


これは禁制が行き届いていないためでもあるが、農地を限度なく分け与える事からそうなってしまっているのである。


今、太平の時代のようにしたいと思い、民の財産の多寡を平均化し、贅沢な世間の風潮を正そうとするなら、井田制に依拠しないではおれないのである。



この変化は世を損なうものであったので、元に戻すべきである。





仲長統は、どうやら「井田制」を復活すべし、との意見らしい。農地を九等分し、そのうち一つは皆で耕作し、残りは一区画ずつ所有するといった理想の世界の制度と言うべきものである。



確かにこの制度が貫徹するなら豪族が幅を利かせる事は起こらないだろう。漢の哀帝の限田、王莽の王田もそういった思想の元で企画されたと思われる。




もしかすると仲長統は曹操屯田を想定しているのかもしれないが、屯田が豪族の私有地にメスを入れたという話はあまり聞かないので、少なくとも仲長統がここで主張するような制度に発展したとは思いにくいところだろう。



あるいは、屯田が井田に発展することを望んでいたという事だったのかもしれない。まあ、まだこの篇を全部読んでいないので早計か。