『三国志』武帝紀を読んでみよう:その37

その36(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/01/11/000100)の続き。





朕聞先王並建明徳、胙之以土、分之以民、崇其寵章、備其禮物、所以藩衛王室、左右厥世也。其在周成、管・蔡不靜、懲難念功、乃使邵康公賜齊太公履、東至於海、西至於河、南至於穆陵、北至於無棣、五侯九伯、實得征之、世祚太師、以表東海。爰及襄王、亦有楚人不供王職、又命晉文登為侯伯、錫以二輅・虎賁・鈇鉞・秬鬯・弓矢、大啟南陽、世作盟主。故周室之不壞、繄二國是頼。
今君稱丕顯徳、明保朕躬、奉答天命、導揚弘烈、綏爰九域、莫不率俾、功高於伊・周、而賞卑於齊・晉、朕甚恧焉。朕以眇眇之身、託於兆民之上、永思厥艱、若涉淵冰、非君攸濟、朕無任焉。
今以冀州之河東・河内・魏郡・趙國・中山・常山・鉅鹿・安平・甘陵・平原凡十郡、封君為魏公。錫君玄土、苴以白茅。爰契爾龜、用建冢社。
昔在周室、畢公・毛公入為卿佐、周・邵師保出為二伯、外内之任、君實宜之、其以丞相領冀州牧如故。
又加君九錫、其敬聽朕命。以君經緯禮律、為民軌儀、使安職業、無或遷志、是用錫君大輅・戎輅各一、玄牡二駟。君勸分務本、穡人昏作、粟帛滯積、大業惟興、是用錫君袞冕之服、赤舄副焉。君敦尚謙讓、俾民興行、少長有禮、上下咸和、是用錫君軒縣之樂、六佾之舞。君翼宣風化、爰發四方、遠人革面、華夏充實、是用錫君朱戸以居。君研其明哲、思帝所難、官才任賢、羣善必舉、是用錫君納陛以登。君秉國之鈞、正色處中、纖毫之惡、靡不抑退、是用錫君虎賁之士三百人。君糾虔天刑、章厥有罪、犯關干紀、莫不誅殛、是用錫君鈇鉞各一。君龍驤虎視、旁眺八維、掩討逆節、折衝四海、是用錫君彤弓一、彤矢百、玈弓十、玈矢千。君以温恭為基、孝友為徳、明允篤誠、感于朕思、是用錫君秬鬯一卣、珪瓚副焉。
魏國置丞相已下羣卿百寮、皆如漢初諸侯王之制。
往欽哉、敬服朕命!簡恤爾衆、時亮庶功、用終爾顯徳、對揚我高祖之休命!
(『三国志』巻一、武帝紀)

魏公の国は10郡。



『続漢書』郡国志で冀州とされているのは「魏郡・鉅鹿郡・常山国・中山国・安平国・河間国・清河国・趙国・勃海郡」の9郡。このうち清河は甘陵と改称されている。



つまり河間国と勃海郡以外、旧来の冀州はほぼ全部魏公国となり、更に旧来は司隷校尉管轄下であった、「三河」とも呼ばれる河南郡・河内郡・河東郡の首都圏のうち2郡と青州平原郡をも含む事となった。



当時の魏武政権下の後漢が実効支配出来ている地域で見ると、相当な割合が魏公国に編入されているのではなかろうか。




「九錫」については、かつての王莽の記事などを参照いただきたい。




魏武は冀州のかなりの部分を占める魏国の公なわけだが、同時に自分の国の監察官という事になっている冀州牧を兼ねたままにされている。つまり、魏国は本来監察官であるべき官が君主でもあるわけで、国内を監察する中央の者がいない、治外法権が成立したと言っても過言ではないのかもしれない。




なお、「魏國置丞相已下羣卿百寮、皆如漢初諸侯王之制」というのは、後漢の諸侯王は王国独自の官をほとんど持っていないが、魏公国はそうではなくてほとんど独立した国であった前漢初期の王国と同じような官僚制度を備える、という事である。





つまり、諸侯王は一つの郡すら与えられないはずの後漢に、春秋戦国時代の大国を一人だけ復活させる、という事だ。


石槍や石斧で戦っている世界に戦車を配備するようなものでは・・・?