『漢書』王莽伝を読んでみよう:中その30

その29の続き。


中郎區博諫莽曰「井田雖聖王法、其廢久矣。周道既衰、而民不從。秦知順民之心、可以獲大利也、故滅廬井而置阡陌、遂王諸夏、訖今海内未厭其敝。今欲違民心、追復千載絶迹、雖堯舜復起、而無百年之漸、弗能行也。天下初定、萬民新附、誠未可施行。」
莽知民怨、乃下書曰「諸名食王田、皆得賣之、勿拘以法。犯私買賣庶人者、且一切勿治。」
(『漢書』巻九十九中、王莽伝中)

中郎の区博が王莽を諌めて言った。
「井田法は聖王の定めた法ではありますが、止めてから長い時間が経っております。周代の政治が衰えると民は従わなくなっておりました。秦はそんな民の心に従い、大きな利益を得ることができました。それ故に井田を廃して田に東西のあぜ道を作るようにして中華の王となり、今に至るまで天下はその弊害に嫌気がさすようなことにはなっておりません。今、民の心を無視して千年前に途絶えた跡を追いかけようとするのは、堯や舜が復活したとしても、百年単位で次第に変えていくのでなければ施行することはできないでしょう。天下は定まったばかりでも従って間もないところですから、井田法はいまだ施行する時期ではありません。」



王莽は民が井田法を恨んでいることを知り、命令を下した。「王田から食を得ている者は、皆土地の売買を認める。法律で禁じることのないようにせよ。爵位の無い者を私的に売買する罪を犯した者も、当面は罪に問わないようにせよ」



王莽の井田制と奴隷売買禁止、事実上撤回される。



結局、どちらもこの時代にあってはいきなり禁止してしまうのはあまりにも混乱が大きすぎたのだろう。




本当は王莽も誰かがこう言い出すのを待っていたのかもしれない。もしかしたら。