『漢書』王莽伝を読んでみよう:下その32

その31の続き。


四方盜賊往往數萬人攻城邑、殺二千石以下。
太師王匡等戰數不利。莽知天下潰畔、事窮計迫、乃議遣風俗大夫司國憲等分行天下、除井田奴婢山澤六筦之禁、即位以來詔令不便於民者皆收還之。
待見未發、會世祖與兄齊武王伯升、宛人李通等帥舂陵子弟數千人、招致新巿平林朱鮪・陳牧等合攻拔棘陽。
是時嚴尤・陳茂破下江兵、成丹・王常等數千人別走、入南陽界。
十一月、有星孛于張、東南行、五日不見。莽數召問太史令宗宣、諸術數家皆繆對、言天文安善、羣賊且滅。莽差以自安。
(『漢書』巻九十九下、王莽伝下)

四方の群盗は往々にして数万人で城を攻めて太守らを殺すことがあった。



太師王匡らも戦っても勝てないことがしばしばであった。



王莽は天下がバラバラになってきて事態が切迫していることを知り、そこで風俗大夫の司国憲らに分担して天下を回らせ、井田制、奴婢や山沢の禁令、六種の管理など、即位以来の詔による命令で民が不便と思っているものを廃止して元に返すことについて議論した。



その出発前の謁見より前に、世祖とその兄の斉の武王こと劉伯升、宛の人李通らが舂陵の子弟数千人を率いて挙兵し、新巿・平林の朱鮪・陳牧らを招いて力を合わせて棘陽を攻め落とした。



この時、荘尤(厳尤)・陳茂は下江兵を破り、成丹・王常ら数千人は別に逃げて南陽郡との境界に入った。




張という星に彗星が現われ、東南へ向かい、五日後に消えた。
王莽が太史令の宗宣にそのことについて尋ねたところ、諸々の専門家たちは皆誤りで、この天文は凶兆ではなく、群盗はいずれ滅びるということだと述べたので、王莽は少し安心した。




王莽、遅まきながら失政を何とかしようと動き出す。




だが、あの世祖とその兄劉伯升らが挙兵する。その辺についてはこのブログとかを参照。決して「続きは?」とかせかしているわけではない。



王莽もう完全に手遅れ。




太史令宗宣というのは、以前に公孫禄がおべっかクソ野郎の一人目に挙げた人物である。


なるほどこういうところなんだな、と納得のエピソードである。