孫登2

銅馬・青犢・尤來餘賊共立孫登為天子於上郡。

【注】
春秋保乾圖曰「賊臣起、名孫登、巧用法、多技方」蓋立以應之。上郡故城在今芤州上縣東南。
(『後漢書光武帝紀上、建武二年)

「孫登」が新たな天子となるという予言は、後漢末に起こったものではないようだ。
新から後漢初の頃、既に「春秋保乾圖」つまり緯書の中に書かれていた謎の言葉であったようだ。
光武帝初期に銅馬賊らの残党がこの予言に合致させようと孫登という姓名の者を天子に担いだらしい。

後漢末に公孫度が意識した予言がこれと直接関係あるかどうかは確証はないが、少なくとも後漢以降の時代においては「孫登」という姓名は特別な意味を持っていたのである。