孫登

初平元年、(公孫)度知中國擾攘、語所親吏柳毅・陽儀等曰「漢祚將絶、當與諸卿圖王耳」

【注】
魏書曰、度語毅・儀「讖書云孫登當為天子、太守姓公孫、字升濟、升即登也」
(『三国志公孫度伝)

遼東の公孫度は初平元年の時点で「漢はもう終わり」と認識し、自分が王者になろうと画策したという。

その際、彼は「孫登當為天子」という当時の予言を語り、それこそ自分のことだと述べている。


ところで孫登といえば孫権の長男の名前である。
孫権もこの「孫登當為天子」の予言の存在を知り、自分たち親子にそれを符合させようとして長男を孫登と名づけたのではないだろうか。