伏戎于莽

『伏戎于莽、升其高陵、三歲不興』
『莽』、皇帝之名。『升』謂劉伯升。『高陵』謂高陵侯子翟義也。
言劉升・翟義為伏戎之兵於新皇帝世、猶殄滅不興也。
(『漢書』王莽伝下)

王莽、光武帝の頃は「緯書」「讖書」が流行った。
つまり古の謎めいた文書が何らかの予言になっていて、それを解釈するのである。

王莽は上にある「伏戎于莽、升其高陵、三歲不興」という言葉を「翟義や劉伯升(光武帝の兄のこと)が王莽の兵に敗れる」という解釈を疲労して人心の動揺を抑えようとしたという。

ただし、この文は実は「緯書」ではない。

九三、伏戎于莽、升其高陵、三歲不興。
(『易経』同人)

これはれっきとした『易経』、「経書」の一文である。

確かに怪しげな短文という意味では予言詩めいているが、「緯書」「讖書」ではないのである。
結局、「緯書」も「経書」と同じで古の聖人の言葉だと思われていたことには違いがないので、「経書」もまた「緯書」のような意味合いがあったに違いないと予言解釈的手法が逆輸入されたということなのではないだろうか。