予言の矛盾

(張)衡以圖緯虚妄、非聖人之法、乃上疏曰・・・(中略)・・・往者侍中賈逵摘讖互異三十餘事、諸言讖者皆不能説。至於王莽篡位、漢世大禍、八十篇何為不戒?則知圖讖成於哀平之際也。
(『後漢書』列伝第四十九、張衡伝)

後漢の張衡が上奏文で語るところでは、当時の大儒である賈逵(三国時代の人物とは別人)が「緯書、図讖が互いに矛盾している点三十数か所」を指摘したが、それらのよげんの書を信奉する者たちはそれについて説明することができなかった、という。



また、張衡は王莽の簒奪といった漢王朝の一大事があったのに、どうしてよげんの書にはそれに対する誡めが書いてないの?嘘なの?とも言っている。まあ、確かにそうだ。





後漢の緯書、図讖というとまず何よりも光武帝が信奉したことで知られているが、後漢儒者の中にはそこに真っ向から立ち向かう者も少なからずいたようだ(一応言っておくとこの賈逵の話は光武帝時代ではないが)。