計算した総大将

昨日の続きのようなもの。




合肥の戦いについて、別の面から考えてみる。



張遼と李典に共通するのは、自前の兵を持っていたのではないか、という点だ。



張遼呂布に従っていた時からの兵をそのまま率いていた可能性があると思う(だから強かったのではないか)。



李典はいわゆる豪族であり、私兵を養っていて、その私兵を率いていたのではないかと思う。




一方、楽進は経歴からして、おそらくは曹操直属の兵を指揮したのではないかと考えられる。




つまり、曹操から見ると、楽進の兵は自分自身に属する兵だが、張遼と李典の兵は自分自身の兵とは言えない。



少々意地の悪い見方かもしれないが、曹操としては損耗するなら自前ではない兵から先の方が得なわけである。




つまり、曹操自前でない、つまり失っても曹操自身は損をしない張遼と李典の兵を損耗の可能性が高い出陣組とし、曹操自前の兵を預かっていたであろう楽進は温存した。



こんな計算があった、かもしれない。




むろん、そのことだけで作戦を決めたとは思わないが、こういう要素も影響していた可能性はあるのではないか。




なにしろ、楽進はこれまでの戦ではしばしば「先登」つまり一番乗りをやっていたというから、むしろこういった場面での攻撃こそ得意だったようにも思える。その楽進を使わないという理由が何か、ということだ。




少数の兵で打って出るのはまあ一種のバクチではあるから、曹操はうまく行かなかった時のことも考えていたとは思う。その時に出来るだけ守れるように考えると同時に、できるだけ「損」が少ないようにするというのも大事な話ではあるだろう。