張濟自關中走南陽。濟死、從子繡領其衆。(建安)二年春正月、公到宛。張繡降、既而悔之、復反。公與戰、軍敗、為流矢所中、長子昂・弟子安民遇害。公乃引兵還舞陰、繡將騎來鈔、公撃破之。繡奔穰、與劉表合。公謂諸將曰「吾降張繡等、失不便取其質、以至於…
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