影の功労者

先日来記事にしている合肥を統率していたのは護軍薛悌だったと思われるが、この護軍薛悌はあの兗州最大の危機(曹操が徐州に行っている間に呂布に攻められて負けそうになり、夏侯惇が人質になったりしたヤツ)の時の兗州従事で、その後も22歳にして泰山太守(難治な郡であったらしい)になるなど、地味に見えてかなり修羅場くぐってるヤツなんだよな・・・。



なんなら、ヤバい修羅場のくぐりっぷりではこの時のメンバーの中で一番だったかもしれない。



こんな覚悟完了した官僚が統率していたからこそ、兵数ではかなりの劣勢なのに勝てたのかもしれない。下手なヤツが指揮したら滅茶苦茶になってもおかしくないところだし。