早熟な太守たち

昨日話題にした薛悌は22歳にして泰山太守になった。



張遼は魯相(太守と同格)になった時に28歳だったと記録される。



李典は官渡の戦いの頃に離狐太守になったというが、彼の没年36歳から考えると、この太守になった時はまず確実に20代だろう。




つまり、合肥の戦いに参加した曹操側の将たちは、一人を除いて「20代にして太守となった人物」である。




これはそうではなかった人は居心地悪かったかもしれないな・・・。