仲長統『昌言』理乱篇を読んでみよう:その5

その4(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/08/14/000100)の続き。





昔春秋之時、周氏之亂世也。逮乎戰國、則又甚矣。秦政乗并兼之埶、放虎狼之心、屠裂天下、吞食生人、暴虐不已、以招楚漢用兵之苦、甚於戰國之時也。漢二百年而遭王莽之亂、計其殘夷滅亡之數、又復倍乎秦・項矣。以及今日、名都空而不居、百里絶而無民者、不可勝數。此則又甚於亡新之時也。悲夫!不及五百年、大難三起、中閒之亂、尚不數焉。變而彌猜、下而加酷、推此以往、可及於盡矣。嗟乎!不知來世聖人救此之道、將何用也?又不知天若窮此之數、欲何至邪?
(『後漢書』列伝第三十九、仲長統伝)

春秋時代周王朝における乱世であった。戦国時代に至っては更に酷い時代だった。秦は兼併の勢いに任せ猛獣のような心で天下を引き裂き、人々を飲み込み、暴虐が止む事なく、楚・漢の争いを招き、戦国時代より更に酷かった。



漢は二百年経って王莽の乱に遭遇し、そこでの被害者を数えれば、秦・項羽によるものの倍はあっただろう。



今日、都市は空っぽで人が住まず、百里に渡って民がいないといった場所が数えきれない。これは新の乱の時より酷いではないか。哀しいことだ。五百年も経たずして三回も大きな乱が起こり、その間にも数えきれないほどの小さな乱があった。時が経つにつれて恐ろしくなり、乱も酷くなっている。このままでは今に終わりだろう。


ああ、来るべき新たな聖人はどうやって世を救うのか?どうしたら今の乱は止まるのか?







仲長統の論によれば乱世は時代を追うごとに酷くなっているのだそうだ。それが本当かは分からないが、中々に絶望的に感じる言葉である。




ただ、この論を記した時期が曹操が勃興し、かなり地歩を固めて以降だとしたら(その可能性はけっこう高いだろう)、これは曹操がその「聖人」になるという期待、あるいは前提があっての言葉とも考えられる。


ここだけではちょっと断言はできないところだが。


なので、次の損益篇も見て行こうと思う。