『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その54

その53(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/01/11/000100)の続き。





初、季布異父弟丁公為楚將逐上。上迫急、顧謂丁公曰、両賢豈相厄哉。丁公引兵而還。天下既定、斬丁公以徇軍曰、自今以後、為人臣者莫效丁公也。
以蕭何功最高、群臣皆曰、臣等被甲執兵、多者百餘戰、攻城略地、各有等差。蕭何無有汗馬之勞、徒持文物論議而已。今居臣等上、何也。上曰、諸君知獵乎。發縱指示獸者、人也。追得獸者、狗也。諸君徒能走得獸、功狗也。蕭何發縱、功人也。
及奏位次、群臣咸曰曹參宜第一。謁者關內侯鄂千秋進曰、曹參雖有野戰之功、此特一時之事耳。夫上與楚相距五年、失軍亡衆、跳身遁者數矣、蕭何嘗從關中遣軍補其處、非上所詔命、而數萬之衆會上乏絶者數矣。楚漢相距滎陽數年、軍無見糧、蕭何常轉漕給食。陛下雖亡山東、蕭何常存關中以待陛下。此萬世之功也。奈何以一旦之功而加萬世之功哉。於是令何為第一、帯劍上殿、入朝不趨。上曰、吾聞進賢受上賞。蕭何功雖高、待鄂君迺得明。於是因鄂千秋所食關内侯邑二千戸、封為安平侯。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第三)

劉邦、功績の第一等を蕭何とする。


ただ、そこには異論もあった事が記されている。実際に戦場で戦った者の功績と、いわば裏方の功績と、どっちを上にするのかというのは、現代でも問題になりそうな話である。



「ワイらの命張った功績の方が上やろ!?」と意気込む武将たちに「おまえらはこの俺にとってのイッヌなんだよ諸将ォォォォーーーーッ!!」と言い放つ劉邦、つよい。




ただ蕭何は自分が戦場に出なくても一族を数多く戦場に送り込んでいたり、挙兵前から劉邦を世話していたりと、ただ指示や管理だけをして功績第一とされた訳ではない事も事実だろう。