魏王の野望と失意

ふと思っただけだが、項羽劉邦の頃の魏豹(魏王豹)ってなかなか激動の数年間を歩んでいる。


章邯遂撃破殺周市等軍、圍臨濟。(魏)咎為其民約降。約定、咎自燒殺。
魏豹亡走楚。楚懷王予魏豹數千人、復徇魏地。
項羽已破秦、降章邯。豹下魏二十餘城、立豹為魏王。豹引精兵從項羽入關。
漢元年、項羽封諸侯、欲有梁地、乃徙魏王豹於河東、都平陽、為西魏王。
(『史記』巻九十、魏豹彭越列伝)

魏豹の兄魏咎が魏王に立てられていたが、魏咎は章邯に攻められ、降伏して民の生存を確認してから焼身自殺。



楚に逃げた魏豹は楚の懐王に兵を与えられて魏の領土を回復し魏王になった。それから魏豹は項羽に従って関中に入った。



ここまで見ると項羽から厚遇されそうにも思えるのだが、項羽は自分が魏の土地を得ようと思い、魏豹を河東のみの王(西魏王)としたのであった(彭越が跳梁跋扈したのは主にこの時項羽に奪われた土地)。


漢王還定三秦、渡臨晉、魏王豹以國屬焉、遂從撃楚於彭城。
漢敗、還至滎陽、豹請歸視親病、至國、即絶河津畔漢。
漢王聞魏豹反、方東憂楚、未及撃、謂酈生曰「緩頰往説魏豹、能下之、吾以萬戸封若。」酈生説豹。豹謝曰「人生一世閒、如白駒過隙耳。今漢王慢而侮人、罵詈諸侯羣臣如罵奴耳、非有上下禮節也、吾不忍復見也。」
於是漢王遣韓信撃虜豹於河東、傳詣滎陽、以豹國為郡。
漢王令豹守滎陽、楚圍之急、周苛遂殺魏豹。
(『史記』巻九十、魏豹彭越列伝)


漢王劉邦が関中を平定し項羽攻めを始めると、その途上にある魏豹は漢王に従い、今度は項羽攻めに加わる。


だが、劉邦が負けると漢に背くのだった。



しかしあの韓信に破られて国を失い、劉邦が逃げた後の滎陽の守将とされたが、同じく滎陽を守る劉邦の腹心周苛に殺されるのであった。





項羽に付いたり劉邦に付いたりと中々の風見鶏だが、ちょうどこの二者のど真ん中みたいな位置関係にあるのだから仕方なかったのだろう。



というか、項羽には国の一部を奪われ、劉邦に付いたはいいが大敗し、今度は劉邦に背いたはいいがすぐに負けて国を失い・・・と、悲しい位負け続きである。



及諸侯畔秦、魏豹立為魏王、而魏媼内其女於魏宮。媼之許負所相、相薄姫、云當生天子。是時項羽方與漢王相距滎陽、天下未有所定。豹初與漢撃楚、及聞許負言、心獨喜、因背漢而畔、中立、更與楚連和。
(『史記』巻四十九、外戚世家)


だが、魏豹は側室の薄姫が「天子を生む」と予言されていた事で気を良くして独立したという話があるので、単なる被害者、小勢力の悲哀とだけ言っていいかは微妙である。側室が天子を生むという事は、自分も天子かその手前の存在くらいにはなるんだろう、と思っての行動なわけだから。


彼は彼で項羽と劉邦の荒波に揉まれながらも人並み以上の野心は持っていたのだ。



なおこの予言は別の形で成就するが、ここでは関係ないので省く。