『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その13

その12(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181108/1541602984)の続き。





九月、章邯大破楚於定陶、項梁死。
齊使徐行、不及禍也。
魏王咎之弟豹復收衆自立為魏王。
楚懷王都彭城、約諸侯曰、先入咸陽者王之。
章邯既敗項梁、以楚不足憂、乃北伐趙、大破之。趙王歇保鉅鹿、秦將王離圍之、章邯軍其南、築甬道而輸之粟。
楚救趙、以宋義為上將、號曰卿子冠軍、項羽為次將、范増為下將。
遣沛公別西入關。於是灌嬰以中涓從。嬰、洛陽販虵者也。是時曹參數有戰功、封為執帛侯、號建成君。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第一)

項梁、死す。




章邯は事実上の主を失った楚よりも趙攻めを優先。



だが、楚は懐王が意外な指導力を発揮して軍を再編。宋義を大将、項羽をその次とした趙救援軍を派遣する。と同時に劉邦には秦を直接狙わせた。



もっとも、秦本国までも章邯が再度取り戻した地域が多く、劉邦には幾多の障害もあったはずである。



劉邦は章邯の本隊を牽制させつつ進軍し、宋義らは章邯の本隊と対峙しつつ勝機を窺う、そんな戦略だったのだろうか。