『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その28

その27(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20181204/1543849632)の続き。





三月、魏王豹降。
陳平因魏無知始來。陳平、陽武人也。家貧好讀書。少時嘗為里中社宰、分肉甚平均、父老善之。平曰、嗟乎、使平宰天下、亦如此肉矣。事魏王及項羽不能用、歸漢。漢王與參乗、令典護諸將。諸將皆怒曰、大王一旦得楚之亡卒、乃命監護長者。王愈益任用之。
王至洛陽。新城三老董公説王曰、臣聞順徳者昌、逆徳者亡。兵出無名、事故不成。明其為賊、敵乃可服。項王殺義帝、是天下之賊也。夫仁者不以勇、義者不以力。若三軍之衆為之素服以告諸侯、而事東伐、此湯武之舉也。王善之、乃與義帝發喪、大臨三日、素縞以告諸侯。
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第二)


劉邦西魏王魏豹も降伏させた。魏豹と項羽の領地は隣り合っているはずだから、劉邦はこれで項羽の本拠まで肉薄した事になる。




また劉邦の陣営に陳平が入る。諸将から文句が出たら今までより余計に信任するようになったというのは、監視役だから嫌われている方が仕事を真面目にしているという判断からだろうか?





洛陽入りした劉邦、義帝の喪を発する。



これは自分こそが義帝の後継者であり、項羽は楚の敵である、という宣言と同一である。



「臨」というのは皆で泣き叫ぶ事だそうで、喪礼の一つらしい。後に漢の皇帝が死んだ時にも民が「臨三日」を行っているので、この礼は天子の格での葬礼なのだろう。