『晋書』景帝紀を読んでみよう:その5

その4(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/07/26/000100)の続き。





天子以(夏侯)玄・(張)緝之誅、深不自安。而帝亦慮難作、潛謀廢立、乃密諷魏永寧太后
秋九月甲戌、太后下令曰「皇帝春秋已長、不親萬機、耽淫内寵、沈嫚女徳、日近倡優、縱其醜虐、迎六宮家人留止内房、毀人倫之敘、亂男女之節。又為羣小所迫、將危社稷、不可承奉宗廟。」
帝召羣臣會議、流涕曰「太后令如是、諸君其如王室何?」咸曰「伊尹放太甲以寧殷、霍光廢昌邑以安漢、權定社稷、以清四海。二代行之於古、明公當之於今、今日之事、惟命是從。」帝曰「諸君見望者重、安敢避之?」乃與羣公卿士共奏太后曰「臣聞天子者所以濟育羣生、永安萬國。皇帝春秋已長、未親萬機、日使小優郭懷・袁信等裸袒淫戲。又於廣望觀下作遼東妖婦、道路行人莫不掩目。清商令令狐景諫帝、帝燒鐵灸之。太后遭合陽君喪、帝嬉樂自若。清商丞龐熙諫帝、帝弗聽。太后還北宮、殺張美人、帝甚恚望。熙諫、帝怒、復以彈彈熙。毎文書入、帝不省視。太后令帝在式乾殿講學、帝又不從。不可以承天序。臣請依漢霍光故事、收皇帝璽綬、以齊王歸藩。」奏可。
於是有司以太牢策告宗廟、王就乗輿副車、羣臣從至西掖門。
帝泣曰「先臣受歴世殊遇、先帝臨崩、託以遺詔。臣復忝重任、不能獻可替否。羣公卿士、遠惟舊典、為社稷深計、寧負聖躬、使宗廟血食。」於是使使者持節衛送、舍河内之重門、誅郭懷・袁信等。
(『晋書』巻二、景帝紀

司馬師、皇帝を廃位。



皇帝の斉王芳が何かを起こす前にやってしまおう、という事だったとされている。



過去の成功例として殷の伊尹・前漢の霍光があったので、その時に倣えばいいのである。




その中で倡優と裸の付き合いをしただとか、当時の皇太后郭氏(烈祖様の皇后)の母郃陽君が死去したのに平常運転で遊んでいたとか、諫言した臣下を弾(パチンコか?)で撃ったとか言われている。


太后郭氏(永寧太后)は義理ではあるが斉王芳の母という扱いなので、斉王芳は母方の祖母の死を悼まなかった、という事になる。




まあ、どこまで本当なのか怪しいものではあるが、若き傀儡皇帝が鬱屈して色々やらかしていたというのも有り得ない事でも無いだろう。2代前も父の喪が明けない内から狩猟に興じたという話があるし、何か似たような事はあったのかもしれない。