狩猟と音楽

文帝受禪、(鮑)稃毎陳「今之所急、唯在軍農、𥶡惠百姓。臺榭苑囿、宜以為後。」文帝將出游獵、稃停車上疏曰「臣聞五帝三王、靡不明本立教、以孝治天下。陛下仁聖惻隠、有同古烈。臣冀當繼蹤前代、令萬世可則也。如何在諒闇之中、修馳騁之事乎!臣冒死以聞、唯陛下察焉。」帝手毀其表而競行獵、中道頓息、問侍臣曰「獵之為樂、何如八音也?」侍中劉曄對曰「獵勝於樂。」稃抗辭曰「夫樂、上通神明、下和人理、隆治致化、萬邦咸乂。移風易俗、莫善於樂。況獵、暴華蓋於原野、傷生育之至理、櫛風沐雨、不以時隙哉?昔魯隠觀漁於棠、春秋譏之。雖陛下以為務、愚臣所不願也。」因奏「 劉曄佞諛不忠、阿順陛下過戲之言。昔梁丘據取媚於遄臺、曄之謂也。請有司議罪以清皇廟。」帝怒作色、罷還、即出稃為右中郎將。
(『三国志』巻十二、鮑稃伝)

魏の曹丕の即位直後、曹丕が猟に出ようとすると宮廷随一の諫臣であった鮑稃が「今はそんなことをしている時ではありません。先帝の喪も明けないうちからそんなことをするなんて!」と引き止めたが、曹丕はその上奏文を自ら投げ打って猟に出て行った。




その猟の道中、曹丕は「猟を楽とするなら、楽器をどうしたものかな?」と軽口を言い、それに対し侍中の劉曄が「猟は楽に勝るものであります」などと述べた。



それに対して鮑稃は「楽は礼教のためにものであり、生物の理に背く猟の方が勝っているなどとんでもない!」と反論すると共に、猟が楽に勝るなどとお追従を言った劉曄を罰しするようにと上奏した。






曹丕は鮑稃に対し激怒し、数年後の処刑に結び付くことになるわけであるが、ここで注目すべきは昨日の記事同様に劉曄が「皇帝の気持ちを伺って迎合する」存在とされていることだ。



劉曄がそのように評されたのは、それまでにこういった積み重ねがあったからなのだろうか。





あと、父であり先君である人物(曹操)の喪も明けない内から猟を楽しむという曹丕の姿も注目に値する*1






*1:おそらく「三十六日の喪」は明けていたのだろうが、晋の司馬氏がそれ以降も先帝の喪に服そうとする態度を貫いたことと対照的である。