『漢紀』高祖皇帝紀を読んでみよう:その55

その54(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/01/12/000100)の続き。





其吏二千石從入蜀漢定三秦者、皆世世復其家。
上置酒、衆辱隨何曰、為天下安用腐儒哉。何曰、陛下發歩卒五萬・騎五千、能以取淮南乎。上曰、不能。何曰、以二十人使淮南、王至、如陛下之意。是臣之功。賢于歩卒五萬騎五千也。上曰、吾方圖子之功。以何為護軍中尉。
上五日一朝太公。太公家令説公曰、天無二日、土無二王。皇帝子乃人主也。太公雖父、乃人臣也。奈何令人主朝人臣。如此威重不得申。後上朝太公、太公擁篲迎門、卻行欲拜。上大驚扶太公。太公曰、帝人主、奈何以我亂天下法。上善家令言。賜黄金五百斤。
荀悦曰、孝經云、故雖天子必有尊也、言有父也。王者必父事三老、以示天下、所以明有孝也。無父猶設三老之禮、況其存者乎。孝莫大於嚴父。故后稷配天、尊之至也。禹不先鯀、湯不先契、文王不先不窋。古之道、子尊不加於父母。家令之言、於是過矣。
夏五月丙午、詔曰、人之至親、莫大於父。故父有天下、傳歸於子。子有天下、尊歸於父。此人道之極也。朕平暴亂以安天下、斯皆太公之教訓也。尊太公為太上皇
秋九月、匈奴圍太原韓王信於馬邑、信降匈奴
(『漢紀』高祖皇帝紀巻第三)

劉邦の父、劉太公は危うくコトコト煮られるところだったが無事生き延びていた。



だが、そのために「天子などになった経験もない天子の父」という、どう扱っていいかわからないような存在が誕生する事となった。


天子たる劉邦が太公にかしづけば「最も尊い地位の者が地位の低い者に従う」という事になるし、かといって劉邦が太公の前に膝を屈するのも「子が父を土下座させる親不孝」という事になる。



そこで、劉太公には「太上皇」の地位を与えた、という事である。



なお、この称号は劉邦オリジナルではなく、秦の始皇帝が先代の荘襄王に贈っている(荘襄王は既に死んでいたが)。



この措置は先例に従ったもの、と言う事が出来るのだろう。




そして、韓信(韓王信)は匈奴に攻められ、匈奴に降伏してしまった。秦にこっぴどくやられていた匈奴の勢力が盛り返してきていたのである。