『漢書』王莽伝を読んでみよう:上その51

その50の続き。


御王冠、謁太后、還坐未央宮前殿、下書曰「予以不徳、託于皇初祖考黄帝之後、皇始祖考虞帝之苗裔、而太皇太后之末屬。皇天上帝隆顯大佑、成命統序、符契圖文、金匱策書、神明詔告、屬予以天下兆民。赤帝漢氏高皇帝之靈、承天命、傳國金策之書、予甚祗畏、敢不欽受!以戊辰直定、御王冠、即真天子位、定有天下之號曰新。其改正朔、易服色、變犧牲、殊徽幟、異器制。以十二月朔癸酉為建國元年正月之朔、以雞鳴為時。服色配徳上黄、犧牲應正用白、使節之旄旛皆純黄、其署曰『新使五威節』、以承皇天上帝威命也。」
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)

王の冠を付けて元后に謁見し、戻って未央宮の前殿に座り、文書を下した。「私は徳の無い身ではあるが、黄帝、虞舜の末裔の末裔にして太皇太后の一族の末席である。天帝は大いなる天佑を顕わし、天命を作り、天からの命令を示す図や文書、金の箱や策書をもたらし、私に天下万民を託した。赤帝の後裔である漢の高皇帝の霊は天命を承けて金の箱の策書を伝え、私は大変恐れ多いことながら、敢えて受けずにいられようか。
戊辰の日をもって王の冠を着けて真の天子の位に就き、王朝の号を「新」と定める。
暦を改め、服装の色を替え、犠牲を変更し、旗を変え、道具の制度も別なものとする。
十二月癸酉をもって建国元年正月一日とし、鶏が鳴く時をもって時刻を刻み、服装の色は王朝の徳に合わせて黄色を尊び、犠牲には白を用い、皇帝の証である節の旗は純粋な黄色とし、そこには「新の使者の五威の節」と書き、天帝の威光を受ける。」



王莽、ついに皇帝となる。



及莽即位、請璽、太后不肯授莽。莽使安陽侯舜諭指。舜素謹敕、太后雅愛信之。
舜既見、太后知其為莽求璽、怒罵之曰「而屬父子宗族蒙漢家力、富貴累世、既無以報、受人孤寄、乗便利時、奪取其國、不復顧恩義。人如此者、狗豬不食其餘、天子豈有而兄弟邪!且若自以金匱符命為新皇帝、變更正朔服制、亦當自更作璽、傳之萬世、何用此亡國不祥璽為、而欲求之?我漢家老寡婦、旦暮且死、欲與此璽倶葬、終不可得!」太后因涕泣而言、旁側長御以下皆垂涕。
舜亦悲不能自止、良久乃仰謂太后「臣等已無可言者。莽必欲得傳國璽、太后寧能終不與邪!」太后聞舜語切、恐莽欲脅之、乃出漢傳國璽、投之地以授舜、曰「我老已死、如而兄弟、今族滅也!」舜既得傳國璽、奏之、莽大説、乃為太后置酒未央宮漸臺、大縱衆樂。
(『漢書』巻九十八、元后伝)


この時、即位の裏では「伝国璽」についてこのような有名なやり取りがあったという。



「制度全部新しくしとるんやから、これも新しく作ればええやろ!こんな亡国の不吉な璽なんかいらんやろ!」というのは正論にも思える。

だが、今までずっと騙され続けてきたようなものとはいえ、最後になって急に怒りだしてもなあ、というのもまた正論だろう。




というわけで、「上」はやっと終わり。次は「中」へ続く。