ひとこと(曹操天下を失う)

曹操は建安3・4年頃の段階では袁紹の機先を制して一気に平らげてしまおうと思っていたのではないか、と思う。



呂布袁術と消したら次は当然袁紹だし、それさえ何とかすればあとは流れで、というやつだろうし。



そしてこれも鄴近くの黎陽まで進出していたし、上手くいっていた可能性も十分あったんじゃないか。袁紹の幽州平定は想定より早かったようだが、それでも連戦となる袁紹に対して戦を有利に進められたかもしれない。




劉備離反と、平定の切り札的存在だったはずの皇帝からの殺害命令が出されるという事態にならなければ、の話だが。




まあ前者を離反しやすい形にしてやったのは曹操みたいなものだし、後者は完全に皇帝を蔑ろにしてきた曹操のツケそのもの。


つまり自業自得感が強いわけだ。




実はかなり天下統一に近づいていたのに、実はかなりの部分自業自得でそれを失っていた、ということかもしれない。




それ以降の曹操の戦いは、せっかく掴みかけていたのに自分の失策で大きく遠ざかった天下をもう一度なんとか手繰り寄せようという涙ぐましい努力の時間、と言ってしまうこともできるかも。赤壁よりも前に、曹操は既に一度天下を失っていたのだ。