(袁)紹毎得詔書、患有不便於己、乃欲移天子自近、使説(曹)操以許下埤溼、洛陽殘破、宜徙都甄城、以就全實。操拒之。
(『後漢書』列伝第六十四上、袁紹伝上)
よく考えると甄城は曹操支配下の兗州にあったはずだから、袁紹は献帝を曹操の手にゆだねること自体は認めていたことになるんだな。まあ、段階的にコントロールを奪おうとはするのだろうけど。
つまり献帝自身を引き渡せというものではなく、曹操が実質的にコントロールする現状はある程度認めつつも中間地点に置くことで袁紹サイドが口を出しやすくしよう、みたいなものか。
こう考えると案外穏健で曹操に妥協した提案と言えるのかもしれない。