皇子、出現

靈思何皇后諱某、南陽宛人。家本屠者、以選入掖庭、長七尺一寸。生皇子辯、養於史道人家、號曰史侯。
【注】
道人謂道術之人也。獻帝春秋曰「靈帝數失子、不敢正名、養道人史子眇家、號曰史侯。」
(『後漢書』紀第十下、靈思何皇后紀)


漢の霊帝は何度も子を失っていたため、皇子弁(のちの少帝)が生まれるとあえて道人の史子眇なる者に養育させた、という。



皇子として知られるようになった際は、事情が分からない者にとっては突如霊帝の子を称する子供が出現したように感じられたのかもしれないなあ。







曹叡(「なんども皇子を失っていたが謎の皇子が突如出現」か・・・。どこかで聞いたような気がするな)