後漢末の潁川太守

何進字遂高、南陽宛人也。異母女弟選入掖庭為貴人、有寵於靈帝、拜進郎中、再遷虎賁中郎將、出為潁川太守。
(『後漢書』列伝第五十九、何進伝)

何進って潁川太守になってるんだなあ・・・。





もしかして何進によって取り立てられたり推挙されたりした「故吏」って結構いたりしたのだろうか?わからんけど。