ツイッターにて見かけた件。
詳しくはここでは書かないので知りたいならアカウントから追って行ってくだちい。
秋八月辛卯、帝崩于露寢、時年五十五。
(『晋書』巻二、文帝紀)
司馬昭は「露寝」で死去した。
ではこの「露寝」とは何か。
「露」ということはどこかで野宿(野営)でもしたということか?
おそらくだが、それではない。
膳宰具官饌于寢東。
【注】
膳宰天子曰膳夫、掌君飲食膳羞者也。具官饌、具其官之所饌、謂酒也、牲也、脯醢也。寢、露寢。
【疏】
膳宰至寢東。注膳宰至路寢。
(『儀礼』注疏、燕礼第六)
これはいわゆる「五経」の一つ『儀礼』の本文および注疏である。
ここで、注で「露寝」と書かれている語を疏では「路寝」と書いていることが確認できる。
つまり、「露寝」とは「路寝」と同じである、ということだ。
「路寝」とは天子や諸侯の宮殿の正殿のことを言うのだとか。
ということは、晋王であった当時の司馬昭の「路寝」というのは晋王の宮殿の「路寝」ということなのだろう。
結論。
司馬昭は野宿中に死去したのではなく、当時の自分の家である晋王の宮殿内で死去した。たぶんね。