『三国志』武帝紀を読んでみよう:その2

その1(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/11/28/000100)の続き。





光和末、黄巾起。拝騎都尉、討潁川賊。
遷為濟南相、國有十餘縣、長吏多阿附貴戚、贓污狼藉、於是奏免其八。禁斷淫祀、姦宄逃竄、郡界肅然。
久之、徴還為東郡太守、不就、稱疾歸郷里。
頃之、冀州刺史王芬・南陽許攸・沛國周旌等連結豪傑、謀廢靈帝、立合肥侯、以告太祖、太祖拒之。芬等遂敗。
(『三国志』巻一、武帝紀)

黄巾の乱が起こる。魏武は騎都尉となって従軍。


召羣臣會議。(皇甫)嵩以為宜解黨禁、益出中藏錢・西園廄馬、以班軍士。帝從之。於是發天下精兵、博選將帥、以嵩為左中郎將、持節、與右中郎將朱儁共發五校・三河騎士及募精勇、合四萬餘人、嵩・儁各統一軍、共討潁川黄巾。
(『後漢書』列伝第六十一、皇甫嵩伝)

潁川の反乱平定に向かったのは皇甫嵩朱儁。魏武は「五校・三河騎士及募精勇」の一部であったか、あるいはそれらの兵の指揮官として選ばれたか。




その後、済南相となる。功を立てての昇進か。


済南王は劉康。この時期の皇帝霊帝と同じ系統であり、霊帝の父の祭祀を霊帝に代わって行う事とされていた。



貴人に付き従う汚職官吏を一掃したというが、正直魏武自身の家の権勢もそういった官吏たちによって支えられていたんじゃないだろうかとも思う。反宦官の闘士への接近といい、どうも魏武は自分の家を否定する方向で動いているように見える。




その後、辞職して郷里に引っ込んでいた間に冀州刺史王芬・南陽許攸らの反乱計画に誘われる。



魏武は毅然として断った・・・ように見えるが、よく考えてみると皇帝を挿げ替えようという大それた計画なのにそれを知って通報していないように見えるし、何よりそんな陰謀に誘われるというのは、「コイツなら乗ってくるんじゃないか」という期待感があるからではないか。



つまり、これは「いかにも反乱に加担しそうな人物として誘われて、何らかの判断か事情により断ったが官憲に通報もしなかった」という、漢王朝にとっての忠臣にはあってはならないような経緯と態度だったと見るべきなのだろう。