嵐を呼ぶ貴人

初、掖庭人鄧香妻宣生女猛、香卒、宣更適梁紀。梁紀者、(梁)冀妻壽之舅也。壽引進猛入掖庭、見幸、為貴人、冀因欲認猛為其女以自固、乃易猛姓為梁。時猛姉壻邴尊為議郎、冀恐尊沮敗宣意、乃結刺客於偃城、刺殺尊、而又欲殺宣。宣家在延熹里、與中常侍袁赦相比。冀使刺客登赦屋、欲入宣家。赦覺之、鳴鼓會衆以告宣。宣馳入以白帝、帝大怒、遂與中常侍單超・具瑗・唐衡・左悺・徐璜等五人成謀誅冀。
(『後漢書』列伝第二十四、梁冀伝)


後漢書』梁冀伝では、梁貴人(鄧皇后)の梁氏への改姓自体が「梁冀が権力固め目的で自分の娘と扱おうとしたため」とされているのか。



連れ子だから改姓したんじゃないんだ・・・(連れ子だというのが理由にはされただろうが)。まあ、兄が鄧氏のままだったりしてたしな・・・。




しかも、梁冀が邪魔な梁貴人の母を殺そうとしたことが桓帝の怒りを招いた、ということになっている。つまり梁貴人の存在自体が梁冀の命取りになっていたということか。