伯邑考について考えてみた2

周の文王の子供たち。



その中でも特に「伯邑考」の名前について。



実は、この「伯邑考」って姓名なんだか字なんだか称号なんだか一見よくわからないような気がする。


少なくともこの時代にあまり詳しくない自分は今までよくわからないでいた*1



なので記事のネタにする。




文王十子、詩傳曰「伯邑考・武王發・周公旦・管叔鮮・蔡叔度・曹叔振鐸・成叔處・霍叔武・康叔封・南季載。」所以或上其叔季何也?管・蔡・霍・成・康・南、皆采也、故上置叔季上。伯邑考以獨無乎?蓋以為大夫者、不是采地也。
(『白虎通』姓名、論字)


上記引用によれば、「管叔鮮・蔡叔度・曹叔振鐸・成叔處・霍叔武・康叔封・南季載」の「管・蔡・霍・成・康・南」はそれぞれ「采地(領地)」の名前のことであるという。



それが「叔・季」という兄弟順を表す「字(あざな)」の上に付く。



その下にある「鮮」「度」などが「名」であろう(上記引用ではそうだとは明記していないが)。






では「伯邑考」は何かと言うと、まず大夫であって領地を得た諸侯ではないため、領地の名前が頭に付かない。


そして、兄弟順を表している字としては長男なので「伯」である。



となると、その次の「邑考」が名であったということになるのだろう。





つまりこういうことだと思う*2




領 地 兄弟順  名
 管   叔   鮮
 蔡   叔   度
 曹   叔   振鐸
 成   叔   處
 霍   叔   武
 康   叔   封
 南   季   載
     伯   邑考




*1:なので、今回の記事もナニか誤りがあっても不思議ではない。

*2:武王と周公旦は偉いので例外のようだ。