時屢失皇子、而後宮就館者少、(王)朗上疏曰「昔周文十五而有武王、遂享十子之祚、以廣諸姫之胤。・・・(後略)・・・
(『三国志』巻十三、王朗伝)
三国時代の王朗の上奏を見るに、周の文王は十五歳にして武王を産ませた、という。
武王の兄であるハンバーグこと伯邑考は周の文王十三歳の時の子だというので、周の文王は十三歳で子作りをした後も更に励んだということらしい。
十代前半で二人の子持ち(女子や早死にの子もいたかもしれないので、実際にはもっと子だくさんだった可能性もある)というわけだ。
これくらいの年齢で早くも結婚し子供を作るということについては、いにしえの聖人に実例があるということであるから、それ以降の時代の貴人などでそのような例があっても驚くには当たらないのかもしれない。
周の文王はもっと凄いです、というわけだから。