伯邑考について考えてみた

又大戴禮云、文王十三生伯邑考。左傳云冠而生子禮也。
(『儀礼』士冠礼第一、賈公彦疏)

周の文王は十三歳にして長男の伯邑考が生まれた、という説があるそうな。





ところで・・・。


帝紂乃囚西伯於羑里。
(『史記』巻三、周本紀)

西伯蓋即位五十年。
(『史記』巻三、周本紀)

徐廣曰「文王九十七乃崩。」
(『史記』巻三、周本紀注『集解』)


周の文王は西伯に立ってから五十年、年齢九十七歳で死去した、ということらしい。



では文王が西伯になったのは四十八歳頃ということになるのだろう。




ということは文王が十三歳にして生まれた伯邑考は、文王が西伯になった時には三十五歳。




例の「ハンバーグ事件」が具体的にいつ起こったことか分からないが、文王が西伯になってから直後ということはなさそうだ。




つまり伯邑考は四十代か五十代、ことによるとそれ以上の年齢の時にハンバーグになったのかもしれないということ・・・?





文王十三歳の時に赤ん坊ってことは・・・おめぇーいったい年いくつなんだァー?




おっ おっ おっ おっ おっ おっ おっ

おめ〜

四十代以上といやあ つまり お・・・



おやじ!




ゴクリ・・・だよん


封神演義』では・・・