郭皇后の実家

明元郭皇后、西平人也、世河右大族。黄初中、本郡反叛、遂沒入宮。明帝即位、甚見愛幸、拜為夫人。
(『三国志』巻五、明元郭皇后伝)

三国魏の明帝の皇后となった郭氏は、黄初中つまり魏文帝の時代に故郷の郡の反乱のために身柄を没収された。
つまり捕虜あるいは罪人となり、非自由人として強制的に後宮に入れられたということである。


要するに彼女の家は反乱に加担したか巻き添えとなったかしたことになる。

是時、武威顏俊・張掖和鸞・酒泉黄華・西平麴演等並舉郡反、自號將軍、更相攻撃。
(『三国志』巻十五、張既伝)

彼女の故郷である西平というのは、涼州にある。

上記の張既伝にある西平の麴演*1らの乱が終息するのは文帝の時代らしいので、郭皇后が捕らわれる原因となった反乱とはこのことだろう。

けっこう西の端の方の人だったのである。

*1:ちなみに麴演は韓遂の首を曹操に献上した人物。いったん曹操に降りながらまた反乱したのである。