恭王の子孫

劉焉字君郎、江夏竟陵人也。漢魯恭王之後裔章帝元和中徙封竟陵、支庶家焉。
(『三国志』巻三十一、劉二牧伝)

(劉)平後坐與諸王交通、國除。永平五年、顯宗更封平為竟陵侯。平卒、子真嗣。真卒、子禹嗣。禹卒、子嘉嗣。
(『後漢書』列伝第四、城陽恭王祉伝)

劉焉の先祖は前漢の「魯恭王」の子孫であり、後漢章帝の時に竟陵に徙封されたのだ、という。つまり竟陵侯ということになる。




だが、それより以前の明帝の時に後漢初期の「城陽恭王」の子が竟陵侯に封侯されていて、数代続いたことがわかる。



断言出来ないが、明帝の次の代である章帝の時にも「城陽恭王」の子孫の竟陵侯が健在だったように思える。




もしかして、劉焉の先祖は「魯」恭王ではなく、「城陽」恭王だったのではなかろうか・・・?