2023-11-24 劉協の孫 三国 太子早卒、孫(劉)康立五十一年、晉太康六年薨。 (『後漢書』紀第九、孝献帝紀) 適孫桂氏郷侯(劉)康、嗣立為山陽公。 (『三国志』巻三、明帝紀、青龍二年、注引『献帝伝』) 献帝こと山陽公劉協が死ぬと孫の劉康が山陽公を継いでいるが、劉康はその時に「桂氏郷侯」となっていたらしく、太子(太孫)になっていたわけではないらしい。 となると、劉協は死んだ時点では太子を立てていなかったようだ。 立てていた太子に先立たれて間もなかったのか、それとも何らかの理由で太子を立てられないでいたのか、あるいは劉協の側が立てないでいたのか。 このあたりの事情は分からないが、ちょっと興味深い。