袁紹の評判

おそらくは孝廉茂才ではなく親族のコネ関連で郎になった袁紹は、孝廉茂才で郎になった連中に対して一種のアドバンテージを得ようとした行動が服喪の徹底だったんじゃないだろうか。



後漢では服喪の徹底が士人間の評価につながっているらしい例が散見されている。袁紹は「コネ入社」の名を払拭するためにそれを欲したのではなかろうか。


そういった偉業を達成しておかないと、「ナナヒカリ」とか「エコヒイキ」とか揶揄するような声が聞こえてきたりするのかもしれない。





などと考えてみて、曹操は母について服喪したかどうかどころか、いつまで生きていたかも分からないんだな、と思った。



こっちはこっちで武文親子揃って服喪で評判を上げようという感覚が見事に見られない。


そういった評判は孝廉茂才を経由したことで十分だったんだろうか。空名を得るために服喪に使う時間があるなら政界で活躍する方を選ぶ、みたいな実利重視なのかもしれない。