曹操、孫権、袁術、公孫瓚、陶謙といった連中は孝廉や茂才に挙げられたことを『三国志』で記しているんだな。
ただ劉表は党錮の禁が直撃したことが関係しているようなので別の問題だ。
袁紹については『三国志』袁紹伝注引『英雄記』では「幼使為郎」などと書かれているので、はっきりとは分からないが孝廉・茂才とは別の形で郎になったように思える。かなり若くして郎になったのか?
弱冠つまり20歳前後にして郎から濮陽県長というから、20歳で孝廉経由で郎になって洛陽北部尉(県尉)となった曹操よりも少し早く昇進していることになりそうだ。