郡の独裁者

滕撫字叔輔、北海劇人也。初仕州郡、稍遷為涿令、有文武才用。太守以其能、委任郡職、兼領六縣。風政修明、流愛于人、在事七年、道不拾遺。
【注】
續漢志涿郡領七縣、除涿以外、有迺・故安・范陽・良郷・北新城・方城六縣、使撫兼領之。
(『後漢書』列伝第二十八、滕撫伝)


後漢の滕撫なる者は涿郡涿県の令となったが、彼の有能さを見込んだ太守は彼に郡の仕事も任せ、しかも本来所管する涿県以外の涿郡の全部の県をも兼ねさせた、という。



これでは涿郡のすべてが滕撫によって差配されたことになり、さすがに極端ではなかろうか。決裁とか停滞しまくったんじゃないのか。




彼の独裁政権は7年も続き、「道不拾遺」という善政が敷かれたというが、これ実はあらゆる政務が停滞した結果刑罰が行われなくなり、犯罪の報告も県の長官=めちゃくちゃ忙しい滕撫に上がることなく県の中で握りつぶされ、結果として「犯罪の報告も無い、罪人もいない」という「見かけ上の平和」が達成された、ということじゃなかろうな・・・。