郡独裁の実態について

昨日の話だけど、これって所管の各県内では実際には県丞や県尉が代行となってほとんどの事務を取り仕切っていたってことになると思うんだよな。



郡の仕事も任されたのだとしたら、本官である涿県でもそんな感じだったかもしれない。



つまり、多くが現地採用だと思われる県のナンバー2以下に権限が委譲されることで、かなり現地有力者の声が通りやすい体制が生まれたんじゃないか、って感じがする。




とか考えてたら、そういや劉備ってその涿県の出だから、劉備の祖父あたりはもしかするとこの滕撫の元で仕事していて、権限を委譲されていたのかもしれないな、などと思った。