大逆お断りの後

司馬彪九州春秋曰、於是陳蕃子逸與術士平原襄楷會于(王)芬坐、楷曰「天文不利宦者、黄門・常侍真族滅矣。」逸喜。芬曰「若然者、芬願驅除。」於是與(許)攸等結謀。靈帝欲北巡河間舊宅、芬等謀因此作難、上書言黑山賊攻劫郡縣、求得起兵。會北方有赤氣、東西竟天、太史上言「當有陰謀、不宜北行」、帝乃止。敕芬罷兵、俄而徴之。芬懼、自殺。
(『三国志』巻一、武帝紀注引『九州春秋』)


昨日の話の続きになるが、曹操が断ったという冀州刺史王芬らによる皇帝廃立は、天文から異変を予見した太史によって失敗に終わったのだという。




この内容から考えると、この計画は割とギリギリのところまで行っていたと考えられるだろう。霊帝が河間国に行っていたら、成否はともかく計画は実行されただろうから。




ということは、これよりは先に陰謀を明かされていたことになる曹操は、霊帝さんサイドにこのことを告発していなかったということだろうか?



曹操のおかげで陰謀を阻止できたというなら、そういう話が残りそうなものだ。つまり曹操はこの事件に加担せず、それでいて阻止もしないという、霊帝に対して忠誠心があるなら十分ありえない態度で通した、ということになるのではなかろうか。



霊帝、あるいは当時の漢王朝に対して忠誠心があるなら、皇帝の廃立などという陰謀を放置するのは十分害悪だろう。参加しないなんてのは忠誠心の発露とは言えない。忠誠心があるなら万が一が起こらないように阻止に動かなければいけないというものだ。




つまり、この事件において、曹操は計画の失敗を予見する危機回避能力と、漢の皇帝に対する忠誠心の欠如を示した、ということになる。