楚王襄彊

葛嬰至東城、立襄彊為楚王。嬰後聞陳王已立、因殺襄彊、還報。至陳、陳王誅殺葛嬰。
(『史記』巻四十八、陳渉世家)


陳勝(陳渉)が蜂起した時、その別動隊となった葛嬰*1は「襄彊」なる人物を楚王に立てたが、陳勝が楚王になったと知るとその襄彊を殺してしまった。



だが陳勝は戻ってきた葛嬰を誅殺したという。




勝手に王を立てたからなのか、楚王に立てた人物を殺したからなのか。





いきなり楚王に立てられたところを見るに、襄彊はきっと楚王の血統なのだろう。そういう人物を殺してしまうというのは楚の人間の支持を得たい陳勝にとっては見過ごせない罪だったということだろうか?

*1:諸葛亮たち諸葛氏の祖とも言われている人物。