ひとこと

後漢桓帝は皇帝の曽孫で、蠡吾侯の子。


霊帝は皇帝の玄孫で解瀆亭侯。




霊帝を廃位して立てられるところだった合肥侯は、正体不明のはずではあるが桓帝の父のような「王の分家で侯になった」家なのだろうから、桓帝霊帝の出自と大して変わらない立場なのだろう。




桓帝霊帝が皇帝をやっていた以上、合肥侯も同様に皇帝になれるだけの資格はあったのだろうと思う。



だから、察知されることなくやり遂げることさえ出来れば、合肥侯がいきなり皇帝になったとしても受け入れられる余地はあったんだろう。