王官

輒依鄧禹故事、承制拜禪行驃騎將軍、太子奉車・諸王駙馬都尉。蜀羣司各隨高下拝為王官、或領(鄧)艾官屬。以師纂領益州刺史、隴西太守牽弘等領蜀中諸郡。使於緜竹築臺以為京觀、用彰戰功。士卒死事者、皆與蜀兵同共埋藏。
艾深自矜伐、謂蜀士大夫曰「諸君頼遭某、故得有今日耳。若遇呉漢之徒、已殄滅矣。」又曰「姜維自一時雄兒也、與某相値、故窮耳。」有識者笑之。
(『三国志』巻二十八、鄧艾伝)


鄧艾が蜀漢を降伏させた後、蜀漢の皇帝劉禅、太子や王、官僚たちを官に就けてやった。



これは基本的に独断専行であり、鄧艾の命取りとなったと言っていいのだと思う。



ところで、「王官にした」とあるのだが、この「王官」とはどの「王」の事を言っているのだろうか?




魏の諸王の官だろうか?(あまり有難みが無いと思うが)




魏の晋王司馬昭の官という意味だろうか?(ただしこの時点ではまだ晋公だが)


艾言司馬文王曰・・・(中略)・・・以為可封禪為扶風王。
(『三国志』巻二十八、鄧艾伝)

それとも、「扶風王」劉禅の官と言う意味だろうか?(そうだとしたら既に勝手に扶風王にしていた事になるが)



イマイチ決め手が見つからない。