反乱者逮捕

鄧艾・鍾會之伐蜀也、(衛)瓘以本官持節監艾・會軍事、行鎮西軍司、給兵千人。
蜀既平、艾輒承制封拝。會陰懷異志、因艾專擅、密與瓘倶奏其狀。詔使檻車徴之、會遣瓘先收艾。
會以瓘兵少、欲令艾殺瓘、因加艾罪。
瓘知欲危己、然不可得而距、乃夜至成都、檄艾所統諸將、稱詔收艾、其餘一無所問。若來赴官軍、爵賞如先。敢有不出、誅及三族。比至雞鳴、悉來赴瓘、唯艾帳内在焉。
平旦開門、瓘乗使者車、徑入至成都殿前。艾臥未起、父子倶被執。
艾諸將圖欲劫艾、整仗趣瓘營。瓘輕出迎之、偽作表草、將申明艾事、諸將信之而止。
(『晋書』巻三十六、衛瓘伝)

かの鄧艾を捕縛する際の監軍衛瓘の話。



鍾会こと畜生(小)は衛瓘が邪魔なので、鄧艾捕縛に送りだせば鄧艾は衛瓘を殺すと思った。


衛瓘も自分が殺されないよう、他の将を夜のうちに懐柔し、鄧艾を孤立させるという高等テクニックで対応。



また鄧艾配下の将たちは、捕縛された鄧艾を力づくで奪い返そうと武装して衛瓘の元へ駆け付ける。





この時の衛瓘は本官は廷尉で、征蜀軍においては鄧艾と小畜双方の監軍であり、節をも持している。


更に鄧艾逮捕は皇帝(実質司馬昭)の詔である。




それでもなお、鄧艾はこの使者衛瓘を殺すだろうというのが小畜・衛瓘の共通認識であったようである。


そして実際に配下の将は衛瓘の対応次第では実際に「ころしてでもうばいとる」所だったように見受けられる。




この辺りの話の中では、鄧艾は既に司馬昭の言う事を聞かないどころか、いくら自身の逮捕という話だとはいえ皇帝の使者をぶち殺すような状態と思われていた事になる。



これは扱いが完全に「罠にかかった無実の将」ではなく「ガチの反乱者」であろう。