『三国志』武帝紀を読んでみよう:その28

その27(https://t-s.hatenablog.com/entry/2020/01/02/000100)の続き。





十年春正月、攻(袁)譚、破之、斬譚、誅其妻子、冀州平。
下令曰「其與袁氏同惡者、與之更始。」令民不得復私讎、禁厚葬、皆一之于法。
是月、袁熙大將焦觸・張南等叛攻熙・尚、熙・尚奔三郡烏丸。觸等舉其縣降、封為列侯。
初、討譚時、民亡椎冰、令不得降。頃之、亡民有詣門首者、公謂曰「聽汝則違令、殺汝則誅首、歸深自藏、無為吏所獲。」民垂泣而去、後竟捕得。
夏四月、黑山賊張燕率其衆十餘萬降、封為列侯。
故安趙犢・霍奴等殺幽州刺史・涿郡太守。三郡烏丸攻鮮于輔於獷平。
(『三国志』巻一、武帝紀)

袁譚、死す。


袁尚らも離反に遭って更に北へ。



袁紹支配下だった地域は大体魏武の軍門に下った事になる。



賊帥常山人張燕、輕勇趫捷、故軍中號曰飛燕。善得士卒心、乃與中山・常山・趙郡・上黨・河内諸山谷寇賊更相交通、衆至百萬、號曰黑山賊。河北諸郡縣並被其害、朝廷不能討。
燕乃遣使至京師、奏書乞降、遂拜燕平難中郎將、使領河北諸山谷事、歳得舉孝廉・計吏。
(『後漢書』列伝第六十一、朱儁伝)


張燕はかなり前から事実上の独立勢力となっていた黒山賊のドンであった。これまでも形式的には朝廷に臣従するポーズを見せてはいたので、今回も公孫氏・袁氏・曹氏の勢力争いの帰趨がはっきりした事で以前と同じように臣従の姿勢を見せるようになったのだろう。




「強制徴発から逃げた民が自首してきた。逃亡は死罪である。魏武はその民に対して「お前を許せば法令を曲げた事になるし、お前を殺すとしたら斬首する事になってしまう。逃げて隠れている事だ。官吏に見つからないようにな」と言った。民は逃げたが、結局官吏に見つかってしまった。」という話らしいが、この話はいい話として収録されているのだろうか?


法令を第一とする法家的な考えで行けば、事実上の最高権力者が自らその法を曲げた(殺すべきを殺さず見逃している)事に変わりは無いし、仁愛を第一に考えるなら、超法規的にその民を救うか、これ以上同じ法令で人々が苦しまないように対策するべきではないか。


当時の魏武としてはこれが精いっぱいだった、という考え方もあるだろうが、どこかしら中途半端な結末で、「自首してきた者を助けた」とか、「下の者の言葉に動かされて誤った法令を改正した」とかいった名臣・名君のテンプレート通りになっていない印象も受ける。


ちょっとモヤモヤ感の残るエピソードである。あくまでも個人的な印象だが。




だが、一旦は平定されたかに思えた旧袁紹領は、早くも趙犢・霍奴・烏丸によって再度混乱を始めるのであった。


考えてみたら、幽州から冀州にかけては魏武の前から劉虞・公孫瓚袁紹とずっと戦続きである。支配者が変わっただけですぐに終息するものではないのかもしれない。