『晋書』宣帝紀を読んでみよう:その4

その3(https://t-s.hatenablog.com/entry/2019/06/26/000100)の続き。





遷為軍司馬、言於魏武曰「昔箕子陳謀、以食為首。今天下不耕者蓋二十餘萬、非經國遠籌也。雖戎甲未卷、自宜且耕且守。」魏武納之、於是務農積穀、國用豐贍。
帝又言荊州刺史胡脩粗暴、南郷太守傅方驕奢、並不可居邊。魏武不之察。及蜀將關羽圍曹仁於樊、于禁等七軍皆沒、脩・方果降羽、而仁圍甚急焉。
是時漢帝都許昌、魏武以為近賊、欲徙河北。帝諫曰「禁等為水所沒、非戰守之所失、於國家大計未有所損、而便遷都、既示敵以弱、又淮沔之人大不安矣。孫權・劉備、外親内疏、羽之得意、權所不願也。可喻權所、令掎其後、則樊圍自解。」魏武從之。權果遣將呂蒙西襲公安、拔之、羽遂為蒙所獲。
魏武以荊州遺黎及屯田在潁川者逼近南寇、皆欲徙之。帝曰「荊楚輕脱、易動難安。關羽新破、諸為惡者藏竄觀望。今徙其善者、既傷其意、將令去者不敢復還。」從之。其後諸亡者悉復業。
(『晋書』巻一、宣帝紀

軍司馬司馬懿、魏武に色々と進言をした、との事。



魏武は献帝を河北に移動させようとしたというが、この河北というのは劉備孫権から遠ざけると同時に、魏武の領土に近づける(または魏国内に連れて行く)という事になる。



そこまでするならもう帝位奪っちゃえば取られないやろ、と思わないでもないし、そういう評判になりそうではある。




これらの建策、進言も真実性を疑おうと思えば疑えるようなものばかりにも思えるが、司馬懿が魏武からも次の代の重鎮へと期待するような評価をされていたのではないか、とは言っていいのではなかろうか。




関羽が破れたという事は、次はつまり・・・。